紹介
前身は日本統治時代の1912年に建てられた台北州立工業学校で、「総督府民政部附属工業講習所」と呼ばれ、1921年になって「州立工業学校」と改名されました。日本統治時代の台湾において最も重要な工業学校として化工科、電機科、機械科、建築科などが設けられ、当時の工業人材を育成する学校の役割を果たしていました。
赤れんが、凸状に張り出した柱からなる赤壁の細長い建物の内部は2フロアとなっており、外廊下で他の校舎とつながっています。鋳鉄製の窓の下にある通気孔には工業学校時代の校章がデザインされ、精巧にれんがを積み上げたこの建物全体から、職人の仕事に対する厳しさが感じ取れることでしょう。科技大学学校の歴史上だけでなく、台湾に存在する20世紀初頭の校舎としても歴史的文化価値が非常に高いものとなっています。