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台北から世界へ:若きアーティストLeHo (TAIPEI Quarterly 2022 夏季号 Vol.28)

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発表日:2022-06-13

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TAIPEI #28 (2022 夏季号)


台北から世界へ:若きアーティストLeHo

文: Seb Morgan
編集: 下山敬之
写真: Samil Kuo、@kevintsg、@tw_ghostcat


台北には多くのリバーサイドパークがありますが、ここ数年間で公園内の堤防が大きな注目を集めています。特に彩虹、大佳、中正などの公園にあるコンクリートの壁は巨大なキャンバスへと変化しました。これは市内で拡大したストリートアーティストのコミュニティが台北にもたらした鮮やかな変化の一つです。

1 (Copy)▲年配の方々から過去に洪水が起きた際に打ち上がった魚を手で拾って歩いたという話を聞いたLeHo氏は台北市と協力して「台北新画堤」プロジェクトを企画。そして「水辺」という作品を描いて過去のストーリーを形として残しました。

何彦霖(ホー・イェンリン)氏は、その変化をもたらしたアーティストの一人です(アーティスト名は「LeHo」。以降はアーティスト名にて表記)。彼が描くテーマは一風変わっていること、そしてパステルカラーを使用するスタイルから一般的な「ストリートアーティスト」というイメージからはかけ離れています。しかし、台北や高雄に滞在したことがある人なら、彼が壁に描いたアート作品を一度は目にしたことがあるでしょう。

台南出身の彼はその熟練した技で都会の壁や土手、アパートに魔法をかけていきます。他にも9名の人気アーティストと共に市内の河畔を「都会の絵本」に変えるプロジェクト「台北新画堤」にも参加しています。今回はそんなLeHo氏にグラフィティ、ストリートアートについて、そして彼がアート界にもたらした変革に関するてお話を伺いました。

生粋の台湾人アーティスト
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▲LeHo氏にとって各地のストーリーにあった作品を創作することはとても意義のあることです。(写真/@tw_ghostcat)

LeHo氏はのんびりとした親しみやすい人物です。アーティスト名も、台湾語の「こんにちは」を意味する「リーホー」と同じ読み方をしていて、非常に雰囲気に合っています。「南部で最初のストリートアートプロジェクトに携わった時、毎朝近所から『リーホー』という言葉が聞こえていました。この音は私の英語名であるLeo Ho(レオ・ホー)と響きが似ています。だからこの名前が真っ先に思いつきました」と解説してくれました。

作風を見ても分かるようにソフトで優しい色彩を好む彼は、もともと水彩画家でした。「ある日、自分の絵を直接壁に描いたらどうなるのだろうと考えるにようになりました」とLeHo氏は振り返ります。「私の作品がソーシャルメディアで取り上げられ、2016高雄前金国際街頭芸術祭に招待されました。そこからが私の冒険の始まりでした」。

LeHo氏が最初に手掛けた大型公共プロジェクトは、2017年に高雄衛武迷迷村でお披露目された「水母與猴(クラゲと猿)」です。この作品は水中を漂う美しいクラゲとテナガザルが描かれています。その1年後に描かれた「天空之門(天空の門)」は、2棟ある4階建てのアパートの壁を使い、ペガサスと空飛ぶタツノオトシゴという種類の架空の生物を描いてアート界から注目を集めました。

動物を描く理由
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▲どんな場所にもその地を表す動物や霊獣がいると信じているLeHo氏は、自身の作品がその地域の人たちを守ってくれることを願いながら創作活動を続けています。(写真/@kevintsg)

LeHo氏の作品には動物が描かれているのが特徴です。「動物は情報、人間の感情、物語を運ぶ存在だと思っています」と話すLeHo氏。「動物は鑑賞者とアートをつなぐ手段です。動物に出会うと、動物は好奇心を持ったり、怖がったり、喜んだりといった反応を示します。しかし、人間はそうではなく、読めないところがあります。人とわかり合えないのはとても寂しいことです。だから、動物を作品の中に登場させることで、鑑賞する人と作品との間につながりを育もうとしています」。

ストリートアートとパブリックアートの出会い
2017年以降、LeHo氏は台湾各地で少なくとも14作以上のウォールアートを描きました。その大半は高雄と台北です。「正直なところ、私は自分をストリートアーティストとパブリックアーティストの中間だと思っています」とLeHo氏は語ります。「ストリートアートは自分自身の表現であり、絵を通じてメッセージを伝えます。一方パブリックアートは、そこにサービスの要素が加わります。作品が周囲に及ぼす影響や環境をどう改善できるかを第一に考えなければいけません」。

4 (Copy)▲LeHo氏にとって絵を書くことは、台湾のストリートアートを世界中に広める最高の手段です。(写真/@tw_ghostcat)

その一方で、LeHo氏が描く作品は地域のストーリーからインスピレーションを得ているため、自身を単純なグラフィティアーティストとは捉えていないそうです。「ストリートアートとグラフィティアートはよく混同されます。グラフィティは文字がメインのアートです。レタリングや文字を特定の様式に合わせる点にクリエイティビティを発揮します」とLeHo氏は解説します。例えば、LeHo氏と同年代であるCreepyMouse氏が台南索卡芸術センターで展示している漢字をゴシックスタイルで表現した作品がグラフィティとなります。

ヒップホップから生まれたグラフィティ文化
「私のスタイルが本物のヒップホップだと言うつもりはありませんが、グラフィティアートとストリートアート、ヒップホップ文化の関係の理解は重要です。ヒップホップ文化はブレイクダンス、グラフィティ、ラップ、そしての4つの要素で構成されています」とLeHo氏。

最も原始的なグラフィティは、数千年前にまでさかのぼることができます。しかし、ヒップホップのグラフィティやストリートアートは、20世紀半ばにアメリカで生まれたものです。フィラデルフィアの黒人が多く住む地域で生まれ、後にニューヨークでも誕生しました。手頃な価格のスプレーが販売されるようになると、世の中から弾かれてきたアーティストたちは、地下鉄の列車にデザインを吹き付ける「ボミング」を始め、街中で作品を展示するようになったのです。このスタイルは、やがて電車から他の屋外の空間へと伝播しました。

ヒップホップ文化、グラフィティ、ストリートアートが台湾に上陸したのは、ファブ・ファイブ・フレディやフューチュラ2000といった先駆者の作品が国際的に広まった後の1990年代に入ってからです。ヒップホップはすぐに地元で人気を博しましたが、それはアメリカのヒップホップとはまったく異なるコミュニティの中で誕生しました。台湾のグラフィティアーティストやストリートアーティストは、ほとんどが若く中流階級、アートに関するバックグラウンドを既に持っていた人たちです。そのため、ストリートアートやグラフィティは、社会批判よりも芸術性を披露するための手段となったのです。しかし、合法的にアートを描ける場所がないため、多くのアーティストがアンダーグラウンドな活動をしていました。それから10年ほどの間にストリートアートやグラフィティは人々に受け入れられるようになり、政府は台北市に多くのグラフィティ特区を設置。これにより違法なグラフィティは減少していきました。

台北の堤防を鮮やかにする
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▲LeHo氏の作品「蛍橋雁」の設定では、いなくなったホタルが雁に姿を変え、地域の住民たちを守っています。


「現在の台北ではアートを描く機会がたくさんあります」とLeHo氏は言います。西門町にある台北市映画主題公園はイチオシの場所のひとつで、台北新画堤のようなパブリックアートプロジェクトにも参加しています。さらに最近では、MRT古亭駅近くの中正河浜公園の堤防沿いにダイナミックなデュオトーンのウォールアート「蛍橋雁」を描いています。

台北新画堤の目的は、ストリートアートを通じて地元のストーリーを伝えることです。「蛍橋雁」では、歴史から失われてしまった台北の一部を蘇らせることを目指したと語っています。日本統治時代、中正河畔は川端町、現在は蛍雪里と呼ばれ、ホタルの名所であるとともに、雁(ガン)の生息地でもありました。「現在はすっかり変わってしまったので、80年前の春夏の夜の雰囲気を再現したいと思いました」。

台北新画堤プロジェクトの一環ではありませんが、LeHo氏が特に思い入れを持っているのが、中山区大佳河浜公園の大直橋の近くに描いた「交織」という作品です。「実践大学の近くに住んでいた頃この場所で多くの時間を過ごしました」と振り返ります。

6 (Copy)▲動物を使って人間の感情を表現するLeHo氏は、複雑に絡みついた髪のような時も、舞い上がった髪のような時も、人々が自身の感情を受け入れることを望んでいます。

このウォールアートは髪の毛が鳥になっている女性の肖像画であり、人間の感情の複雑さを隠喩で表現しています。「私たちは動物に多くの意味を見いだすので、それを作品に組み込むことで作品の深みが増します。これこそが、私が動物を描くのが好きなもうひとつの理由です。鳥は自由を、ウサギは気力やエネルギーを、牛は強さを表しています。こうした特徴は私たちも持つことができるので、作品を通じて自分も同じように自由に、エネルギッシュに、強くなれるのだと感じてもらえたら嬉しいです」。

 

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