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アートの中心——西門町 (TAIPEI Quarterly 2016 冬季号 Vol.06)

アンカーポイント

発表日:2017-03-23

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過去の輝きを取り戻した
アートの中心——西門町

_ 許慈倩
写真 _ 施純泰、頼建宏、呂恩賜、台北市観光伝播局

タトゥー、人気の音楽、流行の服、輸入製品、映画。現在の西門町は若者のサブカルチャーの聖地です。しかし清朝時代は市街地の外に位置する手つかずの地域でした。日本統治時代に入り、日本政府はその力を示すため西門町にハイセンスな娯楽を中心とした商圏と日本人の宿舎を作りました。50年続いた日本統治の間に台湾の人々は日本の流行や文化の影響を受け台湾初の映画館が建てられ、西門町は映画娯楽の発祥地となりました。第二次世界大戦が終わって多くの外省人(戦後国民政府とともに台湾に渡ってきた人々)が台北へやってくると、とくに商売上手な上海人たちがここでデパートを経営しはじめ、エンターティメントとショッピングの楽園が生まれました。1960年代には中華商場が完成して市街地とひとつになり、西門町は台湾でも有数の商業と娯楽の中心となったのです。
TAIPEI 夏季号 2016 Vol.06 アートの中心——西門町
▲ 近年、西門町はアート交流の場となり、台北市文化基金会はさまざまな取り組みによって西門紅楼を新しい文化創造の象徴とすることを目指しています。(写真/施純泰)

小説『流』の中では、西門町はすでに全盛期を過ぎながらも、やはり若者たちに一番人気の場所として描かれています。当時、チンピラや家や学校から逃げ出した子どもたちは西門町へ集まって、ビリヤードか喧嘩に明け暮れるという退屈な青春を過ごしていました。しかしあの時代の若者にとって西門町は行き場のないエネルギーを発散できる場所であり、たったひとつの生命の証を刻む場所だったのです。
『流』では西門町の描写はあまり多くありませんが、この地域の盛衰は小説にたびたび登場する中華商場と関連があります。1990年代に中華商場が取り壊され、大規模な交通整備が進むと台北の西エリアは交通が不便になり、西門町からもかつての賑わいが失われました。しかし10数年前に台北市が歩行者天国のショッピングエリアを作り、また歴史的建築をリノベーションしてこの町の歴史と文化の価値を取り戻しすと、西門町の賑わいはついに人々の目の前に再び現れることとなりました。

西門紅楼で蘇る
芸術と文化

TAIPEI 夏季号 2016 Vol.06 アートの中心——西門町
▲ 西門紅楼は、台湾初の公営市場として作られた建物で、台湾で最も完全な形で保存されている三級古跡の市場建築です。(写真/呂恩賜)

MRT西門駅を出て歩行者天国へ行くにしても成都路へ行くにしても、この赤レンガの建築に敬意を込めたまなざしを注がずにはいられないでしょう。昼間は優雅で、夜は煌びやかな西門紅楼は100年余り前に建設されました。台北の娯楽の中心地であり続け、映画や芝居が若い学生たちの視野を広げ、台湾へやってきた外省人たちの心を慰めました。
しかしこの西門紅楼は最初、台湾初の公営市場として作られた建物でした。現在台湾で最も完全な形を保っている三級古跡の市場建築であり、赤レンガで八角形に囲んだ壁に市場の入り口が設けられていますが、当時としてはかなり斬新なデザインでした。
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▲ 河岸留言などライブハウスは西門町に生まれた音楽のパワーを示します。(写真/呂恩賜)

2011年の西門市場再開発計画により、紅楼はかつての華やかさを取り戻すこととなります。翌年には紅楼劇場が開幕してさまざまな演目が上演されるようになり、紅楼市場に楽しさと賑やかさが戻ってきました。さらに政府や自治体、企業などの注目を集め、多様なアートイベントや創作グッズの販売が活発に行われています。八角楼の二楼劇場、十字楼の16工房、河岸留言、北広場のクリエイティブマーケット、南広場の屋外カフェスペース、月光映画館などで行われるイベントによって、西門紅楼は台北西エリアのアート交流の場となりました。
この中の16工房は「生活文創百貨=暮らしを創造するデパート」として、西門紅楼の新旧を融合させた独特の空間を作り出しています。それだけでなく台湾のアート雑貨が集まって豊かな創作のパワーを生み出しており、国際的な交流やコラボレーションも行われています。週末に紅楼広場で行われるクリエイティブマーケットでは若いアーティストたちが賑やかに露店を広げ、月替わりのテーマが北広場の休日を楽しい雰囲気で包み込み、観光客も訪れて創意あふれた商品を買い求めています。また南広場の屋外カフェスペースでは、夜になると若者たちが集まっておしゃべりを楽しんでいます。さらにLGBTフレンドリーのバーもあり、アジア全域で有名になっています。

それぞれの年代の西門町
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▲ 西門町は映画娯楽の発祥地。現在も「映画館通り」があります。(写真/台北市観光伝播局)

100年前に最先端だった公共市場から現在の熱気あふれる歩行者天国まで、どの年代でも流行の商売はこの西門町から生まれます。
1980~1990年代には紅包場(歌劇場)が流行し、大人気となりました。その流行が去ると、生演奏が聞ける西洋式のレストランが若者のお気に入りとなりました。現在、若者に人気のライブパフォーマンスは西門町でも行われており、河岸留言、legacy miniといったライブハウスがこの町に生まれた音楽のパワーを示しています。また台北市文化基金会は今後、紅楼茶坊の経営や資料展示、アート雑貨マーケットや文化クリエイティブ発展センターなどの運営を通じて、西門紅楼を新しい文化創造の象徴とすることを目指しています。
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▲ 現在の西門町は若者のサブカルチャーの中心です。(写真/頼建宏)

西門紅楼は新しい文化をリードする存在です。西門エリアにあるおしゃれな美容院、麻辣火鍋、ドリンクスタンド、カラオケ、バックパッカー向けのホテルなどはすべて時代の産物であり、西門町の流行と文化を生み出しています。『流』で描かれた時代と異なるのは、現在の西門町は芸術の多様さと自由さが花開き、ひとりよがりでなく、若者たちは志が合えばすぐさま力を合わせるところでしょう。タトゥー、ストリートダンス、カフェ、あるいはかつて年配者がやっていた文化ガイドの仕事など何でも若者たちは熱心に取り組み、いつも西門町の異なる姿を見せてくれます。
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▲ 日本の風情にあふれた西本願寺。現在はアートとレジャーの場になっています。(写真/施純泰)

若者のサブカルチャーからアートまで創意と文化がそこかしこに花開き、多くの人々が青春を過ごした西門町は永遠に驚きに満ちています。また流行の輝きの中にも歴史の奥深さがあります。西門紅楼から遠くない西本願寺も再び人々の前に姿を現し、日本風の静かで優雅な雰囲気を醸し出しています。西門の繁華街で日本や韓国の流行を感じた後はこの静かな場所を訪れ、西本願寺広場で日本式のアフタヌーンティーを楽しんだり、創意あふれるカフェで文学的な雰囲気を味わってはいかがでしょうか。賑やかでなければ素晴らしい場所ではないとは限りません。変わるものも変わらないものもある西門町。アートの町‧西門の本当の顔は、人々に絶えることのない活力と創意を感じさせてくれます。

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