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初心に返り夢見るところ タレント・夢多が語る大稲埕 (TAIPEI Quarterly 2018 冬季号 Vol.14)

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発表日:2018-12-06

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初心に返り夢見るところ

タレント・夢多が語る大稲埕


 


TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 初心に返り夢見るところ タレント・夢多が語る大稲埕


文/江欣盈
写真/楊佳穎、林俊耀

 

ある金曜の午後、軽やかに表れた夢多。付き添いのマネージャーやアシスタントの姿もなく、シンプルな白のTシャツにダメージジーンズ、黒のレザーブーツでクールにまとめたファッションは、日頃から鍛えている身体にはとても似合っています。トップレベルのアスリートから人気タレントへ―夢多が歩んだ10年は苦労もあったけれど輝いています。次々と目標を実現してきた人生は、常に前を向いて勝ちに行く精神に支えられています。
 

夢多がタレントとして大きく飛躍した2014年。テレビのバラエティー番組やドラマへの出演のほか、旧正月の大作映画『大稲埕』で日本の警察官を演じました。淡水港が開港した1860年から第二次世界大戦の終結まで、大稲埕をめぐる繁栄の物語は尽きません。この映画の主人公は時を超えて1920年代にタイムスリップ、ストーリーの展開とともに、大稲埕ふ頭や台北大橋、台北公会堂、乾元参薬行、老綿成燈籠、台北霞海城隍廟の当時の姿が生き生きとよみがえり、食や文化など台北一の栄華を誇った大稲埕の一面がうかがえます。
 

いまの大稲埕は昔とはかなり変わっていますが、街のリズムに歴史の足あとが刻まれています。茶葉から漢方薬、香木、各地の食品や雑貨まで、迪化街に脈々と受け継がれた文化を街の空気からかぎ取ることができます。古い町が変わり続ける中、流れゆく時が大稲埕に独特の個性を添えています。どんな年齢の人も、ここでは自分なりの台北のイメージが見つかるのかも知れません。過去を振り返らず、ひたすら前に向かって全力で進み続ける夢多にとっては、大稲埕が象徴するものは初心です。
 

「戦うのは自分のため」
 

テコンドーを始めた中学の時から現役を引退する26歳まで、夢多は本名の「大谷主水」としてスポーツ界で青春を過ごしました。日本の代表選手として約10年間、数えきれないトロフィーに輝き、多くのアスリートと同じように、最高の舞台であるオリンピックを目指してきました。2001年にベトナムで行われたワールドカップでのことです。1回戦の対戦相手は4連覇中の韓国代表選手。自信たっぷりに挑んだ大谷は一瞬の隙をつかれ、相手の一撃が頭部に命中します。歯が上唇を突き破り、流血をおして最後まで戦いましたが、敗退して控室に下がると、血で日本の国旗が見えなくなった胴着をみて悔しくなります。「自分はいったい何をしてるんだろう?」
 

日本代表として栄誉を勝ち取るため、大谷主水は挫折しながらもさらに勝利を渇望します。アスリートの本能なのかも知れません。数カ月後に行われたオープントーナメントで台湾チームに出会います。「台湾の人はホントにうるさいんです(笑)。楽しそうに笑って楽しそうに遊ぶ、でも試合になるとどの選手もカッコイイ!」台湾のテコンドー選手は世界でもかなりのレベルで、大谷の憧れはシドニー五輪の銅メダリスト、黄志雄でした。アジア選手として足の挙げ方が特徴的な黄との縁から、体格や階級も同じくらいの大谷は台湾で学ぼうと考えました。翌年、台日双方のオリンピック委員会の手配で特別にビザが下り、正式に国立台湾体育運動大学で3年間トレーニングに励みます。
 

「しょっぱなから歯を折ってしまった台湾での選手生活」
 

中国語がひとこともできず、まだ周りのリズムもつかめない練習一日目、この九州男児は歯を折ってしまいます。チームメイトで、自身もテコンドーの名選手だった蘇麗文がバイクに夢多を載せて歯医者に行くと、医師はなんと費用を受け取らなかったそうです。周りについていくため休日返上で他人より練習を重ねました。ただ、安くて美味しい台湾の食べ物には勝てず、6キログラムも太ってしまいました。そして故郷の宮崎を思わせる素朴で温かい台湾の人々。
 

そんな中、2005年にマカオで行われた東アジア競技大会では70キロあった体重を58キロまで絞り、当時日本一だった選手に勝利し再び日本代表に選ばれます。北京オリンピックまであと一歩というそのとき、大谷は心身ともかつてないプレッシャーに見舞われました。「もう限界なのか?それとももっと強くなれるのか?」―アスリートとしてピークを迎えているはずなのに、自分を信じることができません。2006年の世界選手権では十字靱帯断裂に倒れ、突然選手生命を絶たれてしまいます。そして台湾に戻り、ゼロからのスタートを決意しました。
 

「人生二度目の挫折なんてまっぴら!」
 

まずはモデルとして入った芸能界ですが、思っていたほど簡単ではありませんでした。オーディションに落ち続け、家賃を払うのがやっとという時もありました。外国人ですから不法就労もできず、国父紀念館の公園で「物々交換」で武術を教えたこともあります。夢多は笑いながら「台湾の人によくすっぽかされましたよ!」と語ります。約束の時間の30分後になって休みますという連絡を受けることもあったそうです。ところが、ジミー・ハン(洪天祥)という恩人との出会いが転機となり、武術指導という裏方の仕事を得て、徐々に暮らしが安定していきました。
 

スタントマンの仕事は大変でした。たった数秒のために丸一日撮影したり、怪我をしたりするのは日常茶飯事。とは言え、人生には無駄な道のりはないものです。そこで裏方としてカット割りから編集、カメラワークまで今も役立っていることをたくさん学べたと言います。2014年、それまでバラエティはちょっと、と思っていた夢多は人気トーク番組「二分之一強」に出演します。外見はクールなのに三枚目のトークが注目を浴び、そこから大きく道が開けました。「もともと真面目に演技をやろうと思っていましたがもう30歳を超えていましたから失敗はできないと思ったんです」と率直に語る夢多はそこで知名度を上げ、いろんな仕事が入ってくるようになりました。アスリートの反射神経のよさにバラエティのセンスが光り、レポーターとして企画段階から旅番組にかかわるようになります。多くの人に認められ、故郷のみやざき大使にも就任しました。

TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 初心に返り夢見るところ タレント・夢多が語る大稲埕▲ いちばんのお気に入り、台北霞海城隍廟。香炉の火は絶えることなく、海外からもわざわざ訪れる人が いるほど。「旅とはそういうもの。信仰がなくても心のよりどころがあっていいと思います」(写真/林俊耀

「落ち込んだときは大稲埕で
自分らしさを取り戻します」

 

大稲埕にはグルメ番組の取材でも訪れたことがあります。永楽市場前で50年になる老舗の屋台、名古屋日式銅鑼焼(どら焼き)を紹介しましたが、カスタード風味は子供のころを思い出させる味わいでした。新旧の味わいが入り混じる「烏魚子奶蓋烏龍茶」は、さわやかなウーロン茶の上に濃厚なミルクの泡、さらにたっぷりカラスミフレークを載せた組み合わせ。不思議と調和がとれ、単なるドリンクながらも大稲埕という土地の新しさを求める精神が表れています。
 

大稲埕のレトロな雰囲気と最先端のアートは海外からの観光客には特に異国情緒を感じさせるようです。でも夢多にとっては初心に立ち返らせてくれる場所です。「大稲埕は業界に入ったばかりの自分を思い出させてくれます。どんな小さな役でも、わずかな報酬でも、すべて全力で挑む、ここで自分に言い聞かせるのです」。いちばんのお気に入りは台北霞海城隍廟。50坪にもならない小さな廟には数十万人の祈りが届けられます。香炉の火は絶えることなく、海外からもわざわざここを訪れる人がいるほど。「旅とはそういうもの。信仰がなくても心のよりどころがあっていいと思います」
 

台湾での暮らしは10年を超えました。ゴミ袋を持って家を出て、煙草の吸殻などのポイ捨てに腹を立てながらもゴミを拾ったり、動物保護施設に保護された野良犬に会いに行ったりと、いずれも台北への愛の表れでしょう。台湾での永住権も取得し、ビザのために奔走する日々は過去の笑い話になりました。その目に映る台北はちょっとせっかちで、ちょっと混み合い、ちょっぴり物価が高い街ですが、ちょっと路地に入れば安くて美味しい地元ならではの美味しいものが見つかります。食べ歩き番組のレポーターとしていろんなものを味わってきた夢多にとって、「郷に入っては郷に従え」、これが台北の生活に溶け込むいちばんの秘訣です。
 

この10年を振り返ってみれば、2007年にはこのアスリートが人気芸能人として成功するとは誰も思っていなかったかも知れません。でも自分を信じる夢多は目標の実現を疑うことはありませんでした。2018年の現在、台湾テレビ界の最高の賞、金鐘奨(ゴールデン・ベル・アワード)に照準を定めています。たくさんの愛する仲間とファンに囲まれながらともに努力し、見定めた夢へとまっしぐらに進んで行くのみです。

TAIPEI 冬季号 2018 Vol.14 初心に返り夢見るところ タレント・夢多が語る大稲埕


夢多
本名は大谷主水(おおたにもんど)。日本の九州・宮崎県出身。17歳から26歳までテコンドーの日本代表を務める。2007年から「夢多(Mondo)」の芸名で台湾のテレビ界で活動している。広告、テレビ、映画、ラジオなどさまざまな媒体で活躍し、旅・グルメ番組のレポーターとして人気を集めている。2018年には出身地のみやざき大使に就任。

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