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瀧乃湯と 皇太子裕仁親王 (TAIPEI Quarterly 2018 春季号 Vol.11)

アンカーポイント

発表日:2018-03-16

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瀧乃湯と
皇太子裕仁親王

 _ 鍾文萍  写真 _ 楊智仁


▲「皇太子殿下御渡涉記念碑」は、裕仁親王がここを訪れたことを証明する重要な史跡です。(写真/楊智仁)
 

1895年、台湾初の民営温泉旅館「天狗庵」が北投渓(川)のほとりに開業し、台湾における温泉文化が幕開けました。この温泉旅館に触発された地元住民が1907年ごろ、北投渓・第二滝の下方に木材や石を用いて天然の「温泉滝浴場」を開設し、銭湯として営業を開始。滝のそばに入り口があったことから「瀧(滝)乃湯」と名付けられました。入湯料が「三銭」だったため「三仙間」とも呼ばれた瀧乃湯は、日本統治時代に初めて一般市民に利用が開放された大浴場として知られる、北投に現存する最古の公衆浴場です。

瀧乃湯の木造建築や石造りの浴槽はいずれも史跡に指定されています。また、敷地内の庭には「皇太子殿下御渡涉記念碑」と記された石碑が建立されています。これは当時皇太子だった裕仁親王(後の昭和天皇)が大正12年(1923年)4月に台湾を視察に訪れたことを記念して建てられたものです。目立たない石碑ですが、日本の皇族が北投を訪問したことを証明する重要な史跡となっています。

自然科学を愛好した裕仁親王は、北投を訪れた際、世界でも2カ所でしか産出されない、放射線を放出する珍しい鉱石が北投渓で発見されたという情報を耳にし、自ら川床に降りて観察を行いました。その時、皇太子の身の安全を守るために同行していた随行員は、親王が危険な目に遭わずに川を観察できるよう、急遽、第二滝付近から数個の平べったい石を見つくろって飛び石を敷設したといいます。これら飛び石に使用された石はその後、「皇太子殿下御渡涉飛石(皇太子殿下が渡った飛石)」として石碑に説明を加え大切に保存されました。

 


▲創業当時から使われる石造りの浴槽。(写真/楊智仁)
 

かつての風情そのままに

第二次世界大戦後、飛び石の多くは行方不明となったため、後の人は新たに「皇太子殿下御渡涉記念碑」を残しましたが、この石碑はある時、何者かによって引き抜かれ道端に捨てられているところを発見されました。瀧乃湯が業者の経営となって三代目に当たる林佳慧さんによると、当時、浴場の経営を引き継いだばかりだった祖父が、北投渓のほとりの浴場入り口近くに捨てられていた石碑を見つけ、「良い材料を使っているから捨てるのはもったいない」と考えて持ち帰って庭に置き、今に至るそうです。林さんは「小さい頃は石碑の歴史的価値を知らず、ベンチ代わりにして腰掛けていた」と笑います。

日本が台湾を統治していたのは遠い昔となりましたが、この老舗浴場は今も変わらず当時の風情を残しています。林さんによると、近くで採れる「唭哩岸石」に、青湯(青磺泉)による侵食を防止するため硫黄のペーストを塗布して積み上げた瀧乃湯の浴槽は、女性が温泉を利用できず、男湯しか存在しなかった明治の開業当時そのままの姿をとどめているそうです。林さんの祖父が経営を引き継いだ際に女湯も開設されましたが、その際にも今では採取が禁じられている唭哩岸石を使用して昔ながらの素朴な浴槽が作られました。かつて北投では瀧乃湯、星乃湯(逸邨)、吟松閣が「三大名湯」と呼ばれましたが、現在も営業を続けるのは瀧乃湯のみとなっています。冷え込む季節に北投の温泉に浸かってゆっくりしてみてはいかがでしょうか。
 

瀧乃湯

北投区光明路244
(02)2891-2236
06:30~21:00(水曜定休)

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